No.54 ジダンと同い年です

ischia2006-07-21

先日、サッカーワールドカップでイタリアが優勝した時の
フィレンツェは凄かった!!


サッカー命のイタリア人。ワールドカップが始まると、
スーパーでは国旗が飛ぶように売れ、広場のいたるところに
試合観戦用のスクリーンが設けられ皆、大熱援。


わが師匠マルコも


「今日は午後は店休みにするよ」


「えっ?平日なのに何で?」


「サッカーの試合があるからね」


「えー!そんな理由でお店閉めちゃうの!?」


「だって、どうせみんなサッカー見てるから、お店開けてても
人来ないでしょ」


そんなところがさすがイタリア人!
私たち日本人が持っているイタリア人像そのままです。


日韓ワールドカップの時、私は会社で働いていたのですが、
残業で残っていた人達が4年に一度のこの試合、日本を応援するために
テレビをラウンジに運び込んで見ていました。

すると上役がやってきて
「何やってんだ!!他にまだ仕事してる人がいるのに迷惑だろ!」
大激怒。泣く泣く撤去させられたことがありました。


日本人にだったらこの話も納得されることでしょうが、
もしこれがイタリアだったら


「ワールドカップだっつうのに残業しててどうすんだっ!」
この上役は非国民としてみんなに半殺しにされていたことでしょう。


銀器工房で働いている私の友達はイタリア準決勝の時、
家で一人で試合を見ていました。


勝利を決めた直後、(イタリア人の)親方から電話がかかってきて


「イタリア勝ちましたね!!おめでとう!」と言うと


「今、どこにいるんだ?車で迎えに行くから待ってろ」


と言われ、車に乗せられたと思ったら


「お前はこの旗を持て!」と旗を持たされ


車の窓からどデカいイタリア国旗を出して、暴走族のように
はためかせながら親方と街中を走りまわったそうです。


イタリアではこのように、試合に勝つと老若男女問わず
何故か皆暴走族になります。


勝戦の時には私も街に出て、広場のスクリーンで試合観戦しました。


キックオフは8時半くらいだったか、でもまだ日が沈んでいなかった
ので明るすぎてスクリーンに映らない!仕方ないので
近くのバールに駆け込み日が沈むまでテレビで観ました。


こんな時でも働かねばならないバスの運転手さん。


試合が気になるらしく、テレビを見る人で溢れているバール
の横に来ると一旦停止。
バスから顔を出して


「どうなった?」


「まだどっちも入ってないよ」


こんなことも日本ではありえない。


24年ぶりにイタリアが優勝を決めた後は凄かった!


ドーっと沸いた後、まわりはイタリア国旗の海に。
乱舞しながらイタリア国歌を皆で斉唱。


凄い数のバイクと車が
「勝ったぞっー!!ウオー!!」
ラクション鳴らしまくりで街を大暴走。


友達の親方もまた息子と車で暴走していたらしい。


そして夜中にはドゥオーモ付近の中心街に続々と人が集まってきて
鳴り物を鳴らしながら歌うわ踊るわの大騒ぎ。


ものすごい人で埋め尽くされていました。


こんな光景はとても日本では見られないでしょう。


24年ぶりの優勝というとてもラッキーな場に居合わすことが
できた私でした。

No.53  新大陸の出現

ischia2006-06-18

先月、わが師匠マルコが日本橋高島屋にて実演販売を行った際には
たくさんの方においで頂き、本当にありがとうございました。


お陰様で他の職人さんのコーナーが閑散としている時も
マルコの所には人が絶えず、にぎわっていたそうです。


フィレンツェが宝飾品で有名だということは一般によく
知られていますが、ではフィレンツェスタイルのジュエリー
がどのようなものかというと、余り知られてはいません。


フィレンツェスタイルのジュエリーとして有名なブランドが
「ブチェラッティ」。


日本ですと銀座「和光」で目の飛び出るようなお値段で
ブチェラッティのジュエリーが売っています。


マルコの作品も高島屋での販売価格は、フィレンツェ工房の3倍。


欲しくてもとても気軽に手の出る値段では
なかったでしょう。


フィレンツェの工房で買えば1/3の値段。ですが、これは
儲け主義でない師匠マルコがつけている、本当に地味な値段だと
思います。


京都から来たあるお金持ちの奥様が
「お安すうおすなぁ〜」といって、工房の中でも
高めのものを何個も買っていったという話があるほど。


手作業で時間をかけて作られる、職人の技の結晶ともいえる
フィレンツェのジュエリー。


これに見慣れてしまうと
某ブランドのTファニーやBガリ、Cティエ
は簡単なつくりなのにお値段が高くてびっくりして
しまいます。


「あれっ?こんなものをこんな値段で売っちゃうわけ?!」


日本では人気のブランド。これが高級品なのだと皆思い込んで
こぞって買っていますが、量産型のバコバコと型抜きされて作られる、
技も何もない(といったら失礼ですが)
長所はブランド名が入っているというだけの商品。


本物をしらないとこういうものに大金をはたくことになる。
もったいないことです。


どうせ買うなら同じ値段で一生ものを。
ジュエリーをお求めになる際はぜひフィレンツェで、フィレンツェ
職人さんが作ったものを。


さて、郄島屋へは私の母もマルコを訪ねていきました。
母はマルコと会ってその暖かい人柄にふれ、
自分の娘がこんなにいい人の下でやっているのだとわかり、
安心感からか涙が出て、止まらなかったとか。


うちのオカンの”ウルルン対面記”
「うちのオカンが〜日本橋高島屋でぇ〜マルコと出会ったぁ〜」
(下条アトム風)


突然イタリアへ行くと言い出して、特に母には何も相談する
ことなく、その4ヵ月後にはサッサとイタリアへ旅立っていた私。


なので、どんなところでどんなことをしているのか、
やはり母なりにとても心配していたようでした。


今思えば、行くと決めてから十分な準備もないままに
4ヵ月後には外国にいるという行動の早さは、自分の人生
始まって以来の素早さでした。


慎重に考えていたならば、まず行く前にイタリア語をよくよく
勉強して、学校もよく調べて下見に行って…ということになる
のでしょうが、学校は、通っていた彫金教室の先生が紹介してくれた
今のプロフェッソーレの学校に即決。


そこがフィレンツェだったのでイタリアということになり、
イタリア語も勉強したことはなかったけれど、何とかなるだろう
ともかくビザが降り次第すぐ行く。


あわただしく留学手続きをし、ビザをとって、4ヵ月後にはイタリアに
いました。


急ぐ理由は何もなかったのですが、
「今でなきゃダメだ。ともかく今なんだ。今、行かなきゃダメなんだ」

何故だかそういう思いに突き動かされました。


神様からお告げでもあったのか、はたまた
イタリアが私を呼んでいたのか…


多分あの時、準備に時間をかけていたら
途中で面倒になってやめていたでしょう。。。



サビア占星術によると
2005年の私のテーマは
「新しい大陸の出現」


まさにそのとおりに2005年の1月1日に私は
新大陸に降り立ったのでした。

No.52 婚約しました

ischia2006-05-13

アメリカ在住10年になる妹がこの度めでたく婚約しました。


お相手はアメリカ人で、ノーマン・ロックウェルの絵に出てくる少年の
ようなかわいらしい顔をした青年、ライアン。


ライアンは律儀にも正式に妹に結婚を申し込む前に、まずはうちの母に
あいさつをしたいと、桜の花が咲きみだれる日本へ妹と共にやってきました。


成田空港からまず向かったのは、母方の祖母の家。


そこでは祖母と強烈母の7人姉妹といとこ達がライアンを大歓迎。


中には自分の息子の卒業式があるというのに、そんなのもそっちのけで
ライアンに会いに来た叔父もいました。


ライアン歓迎会では、7人姉妹による”さくらさくら”の合唱で盛り上がり、


祖母は一生懸命に日本語でライアンに話しかけ、叔父は一生懸命オヤジギャグを
とばして笑いをとり、
ライアンは親戚全員に気に入られ楽しく過ごしたそうです。


この祖母の田舎でライアンは、先祖のお墓参りの帰り道、春の暖かな
日差しの中、正式に妹に結婚の申し込み。


晴れて妹の左手の薬指には大粒のダイヤが輝くこととなりました。



初来日だったライアンは妹と共に、築地や浅草、渋谷、ディズニーランドを
訪問。それから母と3人で京都旅行もしました。


京都のホテルを予約するとき、妹とライアンが同室で母は一人部屋
という部屋割りに、ひさしぶりに帰ってきた娘と同室じゃないなんて
つまらないと、
寂しそうに不満をもらしていたという母ですが、


ライアンをすっかり気に入ってしまった母は、そんなこともどこへやら。
とても楽しい旅ができたようでした。


母に「ライアンはどんな人だった?」と聞いてみたところ


「本当にいい子でね。前から知っていたような感じのする人だった」


祖母にいたっては、ライアンを大好きになってしまい、
毎日のように嘆いていた自分の物忘れのひどさも忘れてしまうくらい、
元気になったとか。


ここ数年親戚の中に亡くなる人が多く、葬式続きで
皆がっくりきていたところがある。
妹の婚約とライアンの来日はそんな中、皆に幸せを運んできてくれました。


妹に先を越されてしまった私ですが、
「自分の幸せが、周りの幸せにつながっていく」ような
この妹の婚約は、私にとってはとてもいいイメージをもたらしてくれたように
思います。


「こんな結婚ができたらきっと幸せだろうな…」と。


皆に祝福されてアメリカへと帰ったと思われる2人ですが、
中にはこんな人もいたらしい。


ある知人はライアンを紹介したとき、チラリと妹の薬指に光るダイヤを
見ながら
「でも、長男じゃなくて残念ね〜」
こう言ったらしい。


う?長男じゃなくて残念?どういう意味だ?


長男じゃないと何が残念なんだ?!
今時長男もクソもあるか?!


しかも相手はアメリカ人。
何故素直に「よかったね。おめでとう」と言えん!?

No.51 地下おじさん2

ischia2006-05-08

☆ 地下おじさんのこと


No.42で登場した地下おじさん。


最近は犬を連れていたり、どこからか
大きな植木鉢を運んできて白い綺麗な花を育てています。


でもおじさん、日の光が入らない地下では犬もかわいそうだし、花も
すぐ枯れてしまうのでは…。


近所に住む友達から聞いた、地下おじさんの話。


おじさんがいつも地下にいるのは、実はボランティア活動で、
掃除をしたり雨の日にはおがくずを撒いて通行人が滑らないように
してくれたり、


夜に出没する露出狂の「チンチンおじさん」を
防ぐためなのだそうです。


この地下おじさん、3年前に殺人の容疑をかけられ刑務所に入れられていた
ことがあるらしい。


でも、町の人々の署名活動などもあり晴れて無罪が証明され、
出所することができた。


この刑務所生活の間におじさんは少し頭がおかしくなってしまい、
今でもたまに行動に変なところがあるとか。


確かにちょっとあやしげに見える地下おじさんだけれど、
いつも近所の人と親しげにおしゃべりをしているのは
こういった信頼関係があるからなのだと、納得。


気持ちよさそうに歌をうたい、ハーモニカを吹いている
地下おじさん、とても殺人を犯すような人には見えません。

No.50 プロフェッソーレのジュエリー

ischia2006-05-07

去年体調を崩されてから、以前のように毎日学校へ来て
制作活動をすることができなくなってしまったプロフェッソーレ。


たまに学校に見えると
「おー!君達がまだ居てくれたかい。会えてうれしいよ。調子はどうだい?」


とうれしそうに握手をして下さいます。


つい先日、今までは写真でしか見たことのなかった
プロフェッソーレのジュエリーをまじかに見る機会に恵まれたのですが、
私は本当に感動してしましました。


その日、娘のアンナ先生がプロフェッソーレの作ったジュエリーコレクション
20点くらいだったか、フランスから来たお客さんに見せるために
持ってきていました。


「あなた達もいい機会だから良くみておきなさい」


と言われ、ズラリと並べられたそのコレクションを見た瞬間、
皆一斉に


「うわー!!」


そのジュエリーはとても暖かな輝きを放っていました。


もちろん、金を使っていたり宝石もふんだんに使っていて
その輝きもあるのだけど、それだけではない。


プロフェッソーレの得意技「打ち出し」でコツコツと一つづつ
丁寧に打ちだされていった手のぬくもりを感じる、
他のジュエリーにはない輝きのあるジュエリー。


こんなジュエリーがお店で売っているのは見たことない!


しかも、デザインがまたなんともかわいらしい。
あのおじいちゃんがこんなにかわいいジュエリーを作るなんて!!


私は大学生の時に、アール・ヌーボー時代のルネ・ラリックという
人のジュエリーを初めて見て


「世の中にこんなに美しいものがあったなんて!」


といたく感動し、自分もやりたくなり、彫金をはじめました。
その時の感動に勝るとも劣らない今日のこの感動。



私は何か、自分の中にいっきに色々な思いがブワーッと
沸いてきて混乱し、ソワソワしてしまいました。


素晴らしい作品と出合った時の新鮮な感動。
心が洗われたような、爽快感。


「私もプロフェッソーレのような暖かい光のあるジュエリーを作りたい!!!」
「私もプロフェッソーレ目指して頑張ろう!!」


自分の中になんだか新しい力が湧いてくるのを感じました。
プロフェッソーレのジュエリーは人の心の中にも輝きをわけてくれる、
そんなジュエリーでした。



それにしても、プロフェッソーレのこの素晴らしい「打ち出し」の技術、
プロフェッソーレから教わりたかった!


プロフェッソーレは90歳。お歳をとり過ぎてしまい、もう
教えることができません。


一番やりたかった「打ち出し」が習えないまま、このプロフェッソーレ
の学校も6月で閉校になります。


なんて残念かわかりません。
本当にもっと早く、もっと早くここに来ていればよかった…。
日本で無駄にウダウダと過ごしていた自分はバカだった…。
本当に残念でならない。


…いや、ちょっと待てよ。
プロフェッソーレは今90歳。
もし私が10年早く来ていたとしても80歳。
20年前でも70歳。


オーノー! マンマ・ミーア!!!


私は生まれる時代を間違った!?

No,49 イタリアも菓子折り

ischia2006-04-01

イタリア在住10年になる、日本人の友達から聞いた


☆イタリア人に人気のある日本のお土産ベスト☆


まずは、
「もっと食べたい!!これはどうやったら手に入れられるの?」
と必ず聞かれるという‘ヨックモック‘


板チョコでもかじるかのように、包みを剥いて丸々豪快にかぶりついて
食べるという‘虎屋のようかん‘


そしてスキーのお土産としておなじみの‘白い恋人


イタリアにもありそうだがなく、みんな大好きだという
‘文明堂のカステラ‘


そして意外なことにうけがよいのは、一つづつ包装してある
‘あんぽ柿‘


イタリア人にとってはお土産は「箱入り」であるということが
重要らしい。日本と同じですね。


日本人がよく持ってくるお土産は緑茶とか扇子とか、日本人形などが
多いらしいが、そんなのはイタリアの人はよく知っているし、
すでに持っていたりして余り喜ばれるものではないようだ。


イタリア人にお土産を持っていくときは「箱入り」の和菓子。
イタリアの人は豆を良く食べるので、あんこものも人気があるようです。



☆番外編
 その他人気の日本の食べ物


カレーライス。
私の師匠マルコはカレーライスが大好きで、いつか一人で
鍋のカレーを全部食べることが夢。


同居人のイタリア人マリアにうけたのが
しば漬け。
ご丁寧にフォークとナイフで切りながら「おいしい、おいしい」と
食べていました。


それから、たこ焼きもうけるらしい。


知り合いが、家庭用の小さいたこ焼き機で作ってあげたところ


「一度に100個くらい作れる鉄板を日本から持ってきて
作ってくれ!!」


と言われたとか。フィレンツェたこ焼き屋をやったら流行るかもしれません。
あんこも人気があるのでたいやきもいいかも。

No,48  イタリア人の靴下

ischia2006-03-31

日本人の友達が日本へ一時帰国することになった。


それにくっついて彼女のアルバイト先の同僚、
イタリア人の女の子エレオノーラが一緒に日本へ来て、その友達の家に
一週間ほど滞在することになったらしい。


エレオノーラが日本へ行くにあたり、まず最初に
買ったものは…。


それは、靴下たくさん。


「何で?靴下をたくさん?」


「日本では家で靴を脱ぐって聞いたから、
イタリア人がどんな靴下はいているか、見られると思って、
たくさんかわいい靴下を買ったの!」


いいところに気がつきました、エレオノーラさん。


イタリアでは人前で靴を脱ぐことがないので、
多少靴下に穴があいても「ま、いっか」と履いてしまって
いるのはきっと私だけではないでしょう…。


ちなみに日本でお土産用に買った足袋型靴下は、こちらの
人にとても喜ばれました。