No.60 アッディオ プロフェッソーレ

ischia2007-02-16

2月2日、プロフェッソーレ・ビーノビーニ
が亡くなられました。


去年の夏、猛暑にやられ
瀕死の状態になり、一時はもうダメかと思われました。
が、秋になり涼しくなると、元気に回復。


10月にプロフェッソーレの
お宅でお昼をご一緒した時には、足が利かなくなり車イス生活に
なってしまわれたものの、食欲旺盛で私以上にモリモリと食べ、
大好きなケーキは何度でもおかわりするし、お酒も飲むしで
その驚異的な回復力に驚かされたものでした。


ところが今年に入り、寒くなり始めたころからまた体調を
崩され、寝たきりになってしまい食べることもできなくなり、
最後はうすらかに意識はあるものの声も発することができ
なくなっていたそうです。


ずっと看病をされていたのは94歳の奥様。
2日の夜中にふっとプロフェッソーレの寝息が聞こえなくなったのに
気がつき、近寄ってみたときには既に他界されていたそうです。


葬儀は生前からプロフェッソーレが決めていたという、
めづらしく祭壇の後ろに十字架のキリスト像がない、
聖母マリアを描いている画家の大きな画がかけられている
教会で行われました。


こちらのお葬式というの本当に簡単なもので
お香典もなければお焼香もなく、皆普段着で
赤いコートの人もいればオレンジ色の服装もいる。


お通夜もないし、初七日もない。


式の始まりにすぐ棺のふたを閉め、釘を打ってしまい、
その後神父さんのお話があり、最後に2人くらいの
プロフェッソーレのお友達によるお別れの言葉。


「ビーノ、ボン・ヴィアッジョ(良い旅を)」


とそのお友達はプロフェッソーレを送り出し
ていました。


日本のお葬式は長いしお金もかかるしで大変だけど
こんなイタリアのお葬式はなんだか簡単すぎて
気持ちの整理がつけにくい気がしました。




「僕はね、外国にもたくさん行って素敵な人達にもたくさん会って
人よりもずっと多くの良い思い出を持ってるんだよ。いい人生だったよ」


去年の冬だったかプロフェッソーレはこんなことを言っていました。
91年という長い人生の間には本当に色々なことがあったと思います。


14,5歳の頃から職人の仕事はすでに始めていたプロフェッソーレ。


戦時中は兵隊にも行き、アフリカでイギリス軍の捕虜となり
収容所生活を強いられていたこともありました。


その砂漠地帯の収容所生活では、テントの中で監視の目を盗み
トタン屋根のコールタールを集め、仲間の食べ残した肉の脂と
砂を混ぜ合わせてヤ二を作り、釘でタガネを作り見事な
サン・ジョバンニ(フィレンツェ守護聖人)の首の打ち出しを仕上げました。


(幸運にもプロフェッソーレが無事イタリアに帰国できたその日は
奇しくもサン・ジョバンニの殉教の日だったそうです)


ビーノビーニといえばフィレンツェのどのジュエリー職人
でも知っている有名人。


「僕もビーノ先生に打ち出しをならったんだよ」


という職人さんはフィレンツェにたくさんいます。
それがかなりお歳をめされた方だったりして


「はて、こんなおじいさんがビーノ先生のところの卒業生?!」


それもそのはず。プロフェッソーレが91歳なのだから、60代70代の


人が習っていてもおかしくない。
にしても、プロフェッソーレ30代40代の頃には既に
多くの職人達が彼の門戸をたたいていたということで、
うーんやはり凄い。


プロフェッソーレの技術というのは「打ち出し」だけではない。
彫金もやれば七宝もやるし
彫刻もするという多彩なアーティストでありました。


特にジュエリーのジャンルでは
「日本のジュエリー界に大きな貢献をして下さった」
と聞きます。


おそらく30年くらい前の高度経済成長中で、
一般庶民もジュエリーというものに手が出せるように
なり、それを作る作家も出始めた頃の日本へ


「アートとしてのジュエリー」という新しい息吹を吹き込んだのが
プロフェッソーレだったのではないかと推測します。


そのプロフェッソーレ・ビーニを目指して、日本はもとより世界中から
フィレンツェのスタジオへ教えを請いに学生達がやってきました。


自分が持っている技術を企業秘密にせず、おしげもなく
他人に教えるというのは、めずらしいことだそうですが、
「魔法の手を持っている」と生徒たちが口をそろえていうほどの
プロフェッソーレの技術。


全てを教えてもらっても、
なかなかプロフェッソーレのようにはできない。
そして技術と共に光っていたのは、彼のデザイン力。
これが普通のジュエリー職人との大きな差です。



以前誰かに
「プロフェッソーレ・ビーニは職人ではなく、アーティストなのだ」
と言った時に


「職人も芸術家も一緒じゃないの?」


と問われたことがあります。


ある意味では同じかもしれません。が明らかに異なる点は、
作品を見てすぐに作者がわかるような
オリジナリティーを持っているかどうか。


自分の作品にコンセプトを持っているか、仕事哲学を持ち
その哲学や思想が作品に表現されているか。


多くの人々が彼に教えを請いにきたのは、ただ技術を習得
するためだけではなく、このプロフェッソーレ・ビーニの
ものづくりや表現に対する精神を学びにきたのではないかと思います。


何故ならそれはアーティストにとって技術以上に
大切なものであり、それを技術と共に教えることのできる
人物というのはそうそういるものではないからです。



いつかこのプロフェッソーレ・ビーニの回顧展を
日本で開催し、日本の沢山の人たちに彼の
ジュエリーをみてもらいたい。
そう考えています。