No.33  母を尋ねて三千里

ischia2005-06-03

以前通っていた語学学校はサンタ・クローチェ教会の
すぐ側にあります。


そのサンタ・クローチェ教会にプロフェッソーレの
作品があると聞いて、今日早速そこへ足を運びました。


久しぶりの学校への道。
学校の斜向かいには、朝通るといつも気さくに
「チャオ!」と挨拶をしてくれたおっちゃんのいる
ジュエリーショップ兼工房がある。


おっちゃん、今日はいるかな…とお店を覗くと
前と変わらない笑顔のおっちゃんがまた手を振って
くれた。


お客さんもいず、仕事中でもなさそうだったので
お店の中まで入ってみた。


自己紹介をして、ビーノ・ビーニ先生の所でジュエリーを
勉強していると言うと、
「知ってるよ、ビーノ・ビーニ先生。大マエストロだよ」


おっちゃんの名前はマルコ。
チェリストマイスキー似でイタリア人にしては
めずらしく背がとても高く、男前。


40歳くらいかと思っていたら50歳と言われ
ビックリ。
カフェをごちをうになりながら、色々な話を聞かせて
もらい、工房の作業も見させて頂きました。


マルコは日本にも高島屋とか松坂屋などの仕事で
何度か来た事があるらしく、日本大好き!


イタリアと日本の国旗が飾ってありました。
だから、いつもジャポネーゼの私にあんなに愛想良く
声をかけてくれてたんだ…
納得。


「日本の食べ物は全部大好きだよ。
寿司、刺身、焼肉、しゃぶしゃぶ…どれも
おいしかった!あとね、大阪で食べた、こう丸い
形の…なんていうんだっけ?」


お好み焼き?」


「そう、それ!大阪で食べたお好み焼きは
モルト・ブオーノだったよ!!」


こうして1時間ほど作業を見ながらおしゃべりをして
マルコと別れたのでした。


おかげでサンタ・クローチェ教会の閉館時間を過ぎてしまい
プロフェッソーレの作品は見ることができなかったのですが、
前からこのジュエリー職人のおっちゃんと一度しゃべってみたいな
と思っていたので、私はとても嬉しく
「いい人と会えたよー!!」
スキップで家に帰りました。


そういえば…
私が癒されていたフィオレンティー二の暖かい笑顔とは、
この人の笑顔でした。


フィレンツェに来た当初、学校まで30分の道のりを
歩いて通っていた。


いつも歩いている途中、あまりの寒さで咳が止まらなくなり、
鼻水も止まらなくなり
「寒い〜!」「苦しい!!」「も〜ヤダ〜」
よく泣いていました。


そんな時マルコがいつも店の前を掃除しながら
朝からさわやかに「チャオ!」と手を振って
笑顔で挨拶をしてくれていたのです。


学校に行かなくなってスッカリ忘れていたけれど、
そうでした、そうでした。
この人の笑顔に私は随分励まされていたのです。
おっちゃん、あの時はありがとでした。