No,47  振りカエル

ischia2006-01-03

あけましておめでとうございます。


今年の大晦日は友達の家に呼ばれ
日本人4人で多国籍料理を食べ、デザートには
別の知り合いの日本人の方が作ってくれた”うぐいす餅”を
ありがたく頂きました。


私は行かなかったけれど、中心街ではコンサートがあったり、
大勢の人が集まりお酒を飲んだり、花火をしたり、
窓からガラスや陶器などの割れるものを投げるのだとか。


私の家はちょっと外れにあるものの、
そこらじゅうで花火の音と爆竹の音がドンパチ鳴り響き、
空が赤く染まり、煙が上がっている。


友達が一言
「バクダットかどっかにいるみたいだね」



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


イタリアへ来てちょうど1年。
初めのフィレンツェの印象は
「暗くて寒い」


フィレンツェに行ったことがある人は皆
「とても美しい街だった」というけれど、そうでもないじゃん。
そう思いました。


確かに冬のフィレンツェは薄暗い。
朝7時に起きるとまだ外は真っ暗。
8時くらいにやっと明けてくる。
夕方も4時くらいには暗くなる。


そして暖房の設備が整っていないので、どこへ行っても寒い。
本当にこの寒さには参りました。


体が温まらないので、いつも体調が悪く、辛い思いをしました。


それだけに、春になりミモザの花が咲き出したときには
どんなにうれしかったことか!!!


今はフィレンツェの美しさ、よくわかります。
夕方、ジュエリーショップの明かりがもれるポンテベッキオ
の姿は本当に美しい。



色々な人との出会い。


まずはホームステイでお世話になったペルカリオ・ファミリー。


そして
「こうやってね、素敵なブローチを作って君、お母さんに
プレゼントするんだよ。いいと思わないかい?」


私のイメージの世界をグンと広げてくれた、90歳のおじいちゃん、
プロフェッソ−レ、ビーノ・ビーニ。


おとぎの国、オーストリアはチロルに住むマルゲリータとその家族。


語学学校で共に学んだ色々な国の友達。


いつも笑顔で愛情豊かに包んでくれる、現在の同居人マリア。


そしてフィレンツェで一生懸命学び働く、私の目標となっている
日本人の友達。


中でも特に私にとって大きな出会いとなったのは、ジュエリー職人
のおっちゃん、マルコ。


昨年、語学学校へ通っていた時、毎朝会うと手を振って挨拶を
してくれたおっちゃん、マルコ。


最初はこの人がジュエリー職人だとは知らず、
なんてかわいいおじさんだろう!と思っていた。


『No.33 母を尋ねて三千里』でおっちゃんの工房へ足を踏み入れて
以来、ちょくちょく「今日も見せてもらってもいいですか?」
と通うようになり、

そのうち
「これをやってみな」とマルコから宿題を出されるようになり、


「土曜日は机が空いてるからここにやりに来たらいいよ」


と、毎週土曜日に工房へ作りに行くようになり、
クリスマス前頃からは毎日通うようになり、


ついには
「1月からここで教えてもらえませんか?」
と改めて弟子入りを志願。
私は縁あってこのおっちゃんの工房で修行することになりました。


本当にマルコと出会ったことは幸運で、暖かく迎えいれてくれたマルコ、
そして工房の他の方々にも感謝せずにはいられません。


2006年、今年はマルコの下で職人修行がんばります!

  

No、46 ジャパーン

ischia2005-12-13

最近、私がよくつるんでいる友達はポーランド人のアンナ、
メキシコ人のマリアとヒメナ、オルガ。


メキシコ人の友達は他にも何人かいるが、メキシコの人は
皆フレンドリーで暖かく、愛情豊かな感じ。


なので私はすっかりメキシコびいきになってしまい、
次に海外旅行へ行くことがあったら、ぜひともメキシコへ
行きたいと思っている。


そのメキシコの友達たち3人と飲みに行った時、
一人が私に
「アイ、私、日本語を習いたいの!」
と言ってきた。


どうしてと聞くと
「だって、日本の人はみんな親切でやさしくて、私大好きなの。
だから勉強してちょっと会話ができるようになりたいの」


他の2人も「そうそう」といった感じで深くうなずいている。
私もメキシコの人が好きだと思っていたけど、彼らもまた
日本人のことを良く思っていてくれたんだな。


日本語を習いたいという要望は結構多い。
このメキシコ人の友達のように、日本人が好きだからという理由と


フィレンツェに仕事できている人(土産物屋などで働く)が
 簡単な挨拶などを教えて欲しいというもの


・日本人女性が好きなイスラム系の男性はナンパのため


・漫画やアニメに興味がある


などの理由で皆、よく教えて欲しいと言ってくる。
先進国の人よりもそれ以外の国の人に言われることが多い。


こちらが思っている以上に、結構みんな日本に興味をもっている。
そして日本人は好感を持たれているようである。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私が通っているマルコの工房にいたときの事。


普段、お店のドアは防犯防止のためにカギが掛かっていて、
日本のようにお客さんが自由に入ってこられないようになっている。


だが、この日はたまたま鍵が開いていた。


すると、4、5人の中国語をしゃべる人達が挨拶もせず、眼も合わせず
ドヤドヤと入ってきて、ピーチクパーチクしゃべりながらお店を
一回りして、また挨拶もせずに出て行った。


それをみていたマルコ


「チネーゼ(中国人)だな。感じ悪いよね。
それに対して日本の人はみんな礼儀正しいよね。
こう、おじぎをしながら
『ちょっと見せてもらっても良いですか?』って入ってくるよ。
これはとてもいいよ。いいことだよ」


たぶん、日本人はちょっと高級そうな敷居の高いお店に入るときは
腰が低くなる。
「いいかしら?」みたいな感じで恐る恐る入る。
でも、そんな遠慮がちな日本人の態度はこちらの人には礼儀正しいと
好感を持たれる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


前にちょっとだけ住んだ家の同居人、ヨルダン人のシャディの
お兄ちゃん(30歳)はいつも


「アイ、日本人の彼女が欲しいんだ。誰か紹介してくれない?」
と言っていた。


「何で日本人がいいの?」


と聞いたら


「だって、日本の女の子はみんなかわいいよ。
イタリア人とアメリカ人はバカだから嫌い。
なんかお高くとまっちゃって、感じ悪い」


なんかわかる気がする。たぶん、イスラム系というだけで
敬遠して、相手にしないのだろう。


それにひきかえ、日本人の女の子はとりあえず外国人には
愛想がいい。何か言われれば「フンっ!」とはいわずに
笑顔を返す。


だから好感を持たれる。


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もちろんそれに反して、日本人(東洋人)だといって
バカにするようなことを言ってくるひともいる。


よくいるのは、通りすがりに「チナ!チナ!」と言ってくる奴。


たぶんイタリア人ではなく出稼ぎに来ている外国人で、貧乏そうな
ガテン系の男。
こんなのは完全無視だが、最初の頃は無視しながらもひどく傷ついていた。


ある日、日本人の友達と歩いていた時、いつものように
通りすがりに「チナ!チナ!」と言われた。


すると、友達は明るく
「ニーハオ!」と返した。

私はちょっとびっくりして
「むかつかない?」というと
「いーの。いーの。あーいうのにはね『ニーハオ!シェイシェイ』って
言っておけば」



ほ〜。そうか。
デットボウルだとわかっている球をまともに受ける必要はない。
フッと避けてしまえばいいだけのこと。


この友達の言葉にそう気づかされました。
確かに言われたらいい気はしないけど、いちいちむかついているのも損。
こうやってしなやかにかわしていくのも外国で生きていく処世術かな。


日本人を好いてくれる外国の方々のために、
1月から日本語教室を開こうかなと思案中。

No.45 それでもだっ!

ischia2005-12-12

クリスマスシーズンになり、フィレンツェでは
街中でイルミネーションがきらめいています。


日本のような派手さ、豪華さはありませんが、街全体が
統一されたようなデコレーションで、シックな感じ。
とてもきれいです。


12月になると、土日は広場のいたるところで市がたちます。


売っているものは様々で、自然食品だったり
クリスマスのデコレーションものだったり、ホットドックのスタンドだったり。


私もサンタ・クローチェの広場の市を覗いてみたのですが、
紅白のテントが立ち並び、アメ横を思い出させるような
師走の活気。どこの国も同じなんだなと思いました。




☆ それでもだっ!



当初の予定では、私のイタリア滞在は12月まで。
12月15日で滞在許可証の期限が切れます。
が、私はもう1年滞在を延長することにし、先日延長の
手続きに行きました。


これまで私はまわりの人々に恵まれたお陰で、あまり寂しいと思うことなく
楽しく過ごしてきました。


が、ちょうど延長の手続きに行った日のこと。


唯一仲の良かった日本人の友達に、付き合っている人がいることが発覚。
最近、いつもの仲間との集まりにも姿を見せず、つき合い悪くなったな‥
と思っていたが、そういうことだったのか!
それは良かったじゃないの!


と思うのと同時に、なんとなく一人になってしまったような、
心に北風が吹き抜けるような、孤独感。


仲の良い外国人の友達は他にも何人も居るが、日本人の友達と
いうのは、言葉が通じるだけあって他の友達とはちょっと違う。
家族のような感じ。


外国に住む人がよく「パートナーがいても、何年もいると寂しくなってきて
帰りたくなる」というけれど、きっとこういう寂しさなんだろうな。
パートナーがいても友達が沢山いても、異国の地では所詮一人。


できるだけ長く、ここに居て、ジュエリーを作っていたいと
考えていた私が味わう、初めての孤独感。



「それでも君はずっとここに居たいと思うか?」
「こんな孤独にも耐えられるのか?」


そう問われているような気がしました。



そして、さらに次の日。


最近、土曜日だけ机を借りて作らせてもらっている、
マルコの工房でのこと。


この日は、照明デザイナーだというイタリア人のお客さんが
来ていた。


工房のスタッフとも親しいようで、最初は楽しく話していたのだが、
私があまり言葉ができないのがわかると、小バカにするような
ことを色々言ってきた。


こんな時、あまり言葉がわからなくてよかったと思うけど、
言葉がわからずとも、嫌がらせをされているのは
身体で感じることができる。


この日はひたすら、1mm大の蜂の巣状の穴をいとのこで開ける
作業をしていたのだが、このクソおやじは


「30過ぎでもまだ穴あけか?」
「次の君の誕生日はいつだ?それまでに穴あけは終わらせなきゃいけないな」


このっ、クソおやじ!!
この透かしの穴あけは熟練した職人の仕事だろが!ボケっ。
あんたのデザインした「フルーツ盛り合わせ」みたいな
シャンデリアとは違うんだよ!


でも、ムカつきながら思いました。


もし、こうやって工房でイタリア人に混ざって仕事をすることになったら、
学生にいた今までと違って、こういう嫌なことも増えてくるかもしれない。
でも、お客さんだったらムカついてもいられない。


がまんするしかない。
こういうことにも強くならないかん。




「それでも君はここでやっていきたいと思うか?」
「こんなことにも耐えていけるのか?」


またそう問われているような出来事でした。



滞在許可の再申請と同時に、自分の心の再確認。
ちょっと考えてみたが、私は迷わずリセット・ボタン、ON!


「それでも、私はここでやっていくぞ!!!」

No.44 フィレンツェ的共同生活

ischia2005-12-02

留学前、とても気になっていたこと。
ある日始まる、知らない人との共同生活。


日本にいた時、留学していた人から
「友達とシェアして家を借りて…」
「何人かの外国人と同居して住んで…」
という話を聞く度に


「他人と同居するってどんな感じ?!」
「掃除はどうしてたの?料理は?冷蔵庫は?」


学校も家も一緒なんて、私だったら嫌だなあ。
でも学校の友達でもない、知らない人との同居もなんだか
恐い。そう思っていた。


私はこの11ヶ月の間に3回、引っ越しをした。
やはり他人との生活は、合わない人と当たってしまった場合、
難しい面もある。


私のみならず、誰しも1,2回は大家ともめたり同居人と合わなかったりで
より良い環境を求めて、家を変えているようである。


日本では何回も引っ越したら、お金がかかって仕様がない。


何故イタリアでは何回も引っ越しが可能かというと、
まず日本のように敷金礼金といって何十万も必要なことはなく、
1ヶ月分の家賃をデポジットとして払えばよい。
このデポジットは家を出る時に、何かを壊したりしていなければ全額返ってくる。


そして、借りた家には電化製品や家具、食器類、布団、シーツなどなど
生活に必要なものはたいていすべて備えついている。


自分の身の回りのものを持って、トランク1つで引っ越しができる。
これはとても良い。


フィレンツェはイタリアの中でも特に家賃が高いようである。
シェアして1部屋借りた場合、平均1ヶ月300〜450ユーロくらい。


部屋を探す時は主に、掲示板を利用。
学校やインターネットポイント、バス停などに沢山張り紙が
してある。電話番号を控えて、連絡をとって部屋を見に行く。


不動産屋が入らないので仲介手数料もいらない。
自分で交渉して、条件などを確認して終わり。
細かい契約書もない。


契約書がなくて不安な場合は自分で書類を作り、サインしてもらう。
いざという時に前の私のように「言った。言わない」の争いに
ならずに済む。


我家は部屋によって違うが1人約350ユーロ。プラス光熱費。
私とイタリア人のマリアとアルゼンチン人のシルビーナの3人。
そしてウリッセという名前の猫一匹。


3人ともかなりアバウトなので、冷蔵庫の中もそれぞれのものが
混ぜ混ぜに入っている。

掃除は一応曜日ごとに当番が決まっているが、
気が付いた時に、気が付いた人がやるといった感じ。


私以外の二人はほとんど家にいないので、キッチンを使う時間や
お風呂の時間が重なることは無く、私にとってはかなり快適。


イタリア人のマリアは、たまに料理するが、その時は必ず私を
呼んで、作っているイタリア料理の説明と味見をさせてくれる。


アルゼンチン人のシルビーナは私が買っておいた
炭酸入りのミネラルウォーターが
残りコップ1,2杯分くらいになると、
何故か水道の水を満タンに継ぎ足してしまう。
たぶん無意識にやっているのだけど、困ったもんである。


このシルビーナに最近、彼氏ができた。
シルビーナはあまり猫が好きでなく、うちの猫ウリッセ君のことも
いつも「シッシッ!!」という感じ。


が、初めて彼氏を家に連れてきた時、開口一番
「ウリッセはどこ?」
と可愛らしげな様子でのたまった。


「うちにはかわいい猫ちゃんがいるのよ」とでも彼氏に言っていたのか。。


なに〜?!『ウリッセはどこ?』だあ?
あんた、いつもウリスなんて完全無視だったじゃないのさ!


私がウリッセ君とじゃれて遊んでいると、彼女は
「にゃ―ン。可愛い」と言った感じでネコなで声を出して、
彼氏と一緒に見ている。


おいおい。あんた、’ネコちゃんが好きなかわいい私’を
演出しているつもりか?


彼が冷蔵庫に貼ってある掃除当番表を見て
「当番が決まってるんだ」と言うと


「そうなの。私は月曜日よ」


ま、あんたは月曜日にもしなけりゃ、他の日にもめったにしないけどね。


シルビーナはほどなくして、彼の家に住み始め、帰ってこなくなった。
が、たまに戻ってきたかと思うと、家の色々なものを勝手に持って
行ってしまう。


いつの間にか鍋が1つ無くなり、鍋つかみがなくなり、エプロンが
無くなった。


ケーキ型が無くなった時は
「あんた、家で料理してるの一回も見たことないぞ!
そんなもん、必要か?作れんのか?」


きっと頑張って彼にいいとこ見せているんだろう。
まあ、せいぜい頑張ってくれ。
そのうち料理の腕も上がるだろうさ。


このシルビーナ、今月中に完全に彼氏邸に引っ越すことになった。
なんとなく私はホットしたが、同じくマリアもそうなのか


「シルビーナがいなくなるから、1人住んでくれる人を探さなくちゃね。
私、ジャポネーゼがいいわ。ジャポネーゼ大好きよ」


ありがとう、マリア。私もフィオレンティーナ、大好きです。

No.43 グラッツィエ!

ischia2005-11-25

かなり頻繁にストがあるイタリア。


今日も午後からストでバスが全てストップ。
ところが今日は朝から雪が降ったり、雨が降ったり、かなり寒い。
朝出掛ける時、雨は降っていなかったので、私はチャリで学校へ行った。


帰るとき、雨が降っていたので
「仕方がない。今日はチャリを置いてバスだな‥」
と思ったら、今日はストでバスがない!
およ〜!!
この寒い中、1時間歩いて家まで帰りました。




☆ グラッツィエ


先週の金曜の夕方
「やれやれ、やっと1週間が終わったよ。疲れたな」


学校の帰り道、ウィンドーショッピングをしながら、チャリを
引き引き歩いていました。


石畳のデコボコ道で大きな段をチャリのタイヤが降りた瞬間、
ズボッ!とハンドルにかけていた彫金道具の入った紙袋の底が
衝撃で抜け、中身が道に散らばってしまいました。


「あっちゃー。どうしよう。他に入れるもの無いのに。どうやって
持って帰ろう…」


とりあえず、道に散らばった物を拾い始めると、近くにいた欧米系の観光客らしき
おばちゃん2人がツカツカと私のところにやって来て、側で
なにやら買い物袋をごそごそとやっている。


「なんだ?このおばちゃん達は?」


いぶかしげに思っていたら
「はい」
とブルーのビニール袋を手渡された。


おばちゃん、荷物を移して袋を空けて私にくれたのである。
おばちゃんのあまりの行動の早さに、最初何で袋を渡されているのかさえ
ピンとこないくらいだった。


「あっ‥グラッツィエ」


というと、英語でおばちゃんたち
「1ユーロにしようかしら?それとも3ユーロ?5ユーロがいい?」
いたずらっぽそうに笑いながら
「冗談よ。これ使いなさい」


英語だ。英語だ。自分に言い聞かせるが、相変わらず
英語がすぐに出てこない私。
「グラッツィエ!グラッツィエ、ミッレ!!」


イタリア語で連呼しながら、おばちゃん達の行動の早さと
親切に感謝感動して握手を求めてしまいました。



こういう親切はとてもありがたく、うれしく、心が温まる。
忘れちゃいけないねえ‥こういうこと。


私はこの親切に対する感謝の気持ちを、今度自分が何かに遭遇した時に、
おばちゃん達のように暖かい行動をとることで他の誰かに渡していこうと思う。

No,42 地下おじさん

ischia2005-11-22

11月のはじめ頃、スーパーにずらりと
ボジョレヌーボーとエキストラ・バージン・オリーブが
並びました。


日本ではこの季節になると
ボジョレヌーボー解禁!」とかいってそこらじゅうに
出店がでて、騒いだりしますが、こちらでは
「あれっ。ボジョレヌーボー出てたの…」くらいに
ひっそりとしたもので、日本で言えば新米が出た時くらいの感じ。
そんなに騒ぎません。


私はやはり本場で本場のワインを飲んでおかねば…と
2005年もの3.99ユーロを買って飲みました。


う〜ん。やはり美味い!!
水のようにスッスッと飲めてしまって危険。
コクや、まろやかさは無いのだけれど、甘すぎず辛すぎず
ちょうどいい感じ。こんなにおいしいワインは初めて!


そしてエキストラ・バージン・オリーブオイルも買ってみました。


本当に「搾りたてっ!!」というかんじの鮮やかなグリーン。
見ているだけできれいです。
ちょっと高かったけど、一番グリーンのきれいなものを買いました。
もったいなくてまだ開けていません。。。




★ 地下おじさん


いつも通る落書きだらけの地下道には、番人のようなおじさんがいる。


おじさん専用なのか、ロッカーや黄金色に塗られたイスやサイドテーブル
も置いてあり、はじめはここに住んじゃっているルンペンの人なのか
と思っていた。


おじさんはいつもここにいて、通行人の誰かと立ち話をしている。
きっと、いつもいるので近所のいろいろな人と知り合いなのだろう。


たまにせっせと床をはいたりして、掃除をしている。


「あっ、お掃除の人だったのね」
と思ったが、どうも違う。
別のちゃんとした清掃局の人が来て、掃除をしている日もある。


天気のよい日も地下にいる。
少年達が大々的に壁に落書きをしているのを
とがめずに見ている。


この地下道にはよく、チェロ弾きやギター弾きが
演奏しに来ている。


良いメロディーと歌声が聞こえてきて、
「おっ。今日はセッションか」
ギターとアコーディオンとハーモニカ。
なかなか上手いなと思って、よく見てみると
ハーモニカを吹きながら、気持ちよさそうに歌を歌っているのは
あの地下おじさん。


なかなかやるな。地下おじさん。
芸達者なようである。


夜ここを通ったとき、おじさんはいなかった。
「さすがに夜は家に帰るんだ」
と思ったら、地下を出たところにあるBARでお酒を飲みながら
また誰かと立ち話。


おじさん、とても話し好きのようである。


私は一日にここを何度も通るので、最近はおじさんも
私の顔を覚えてくれたようで、軽く会釈してくれるようになった。


よく来るチェロ弾きのお兄さんも同じく覚えてくれたようで、
チェロを弾きながらチャリで通り過ぎる私に笑顔を送ってくれる。


初めは、落書きだらけのこの地下道、物騒で嫌だなと思っていたが
なかなかお楽しみの多い通りである。
いつか私も地下おじさんと話をしてみよう。

No.41 ☆☆☆寿司

ischia2005-10-08

イタリアへ来て、これまでに3度頼まれて寿司を作った。


1回目はホームステイをしていた時、お世話になっていた
ルカリオ・ファミリーのために。
でも、大不評だった…。


2回目はオーストリア・チロルのマルゲリータ邸で。


「アイ、前に学校でイタリア人のファミリーに”スシ”を
作ったって言ってたでしょ。うちでも作ってくれない?」


「えっ?!スシを…。あ〜う、うん。い、いいけど…」


前回、大不評だったためすっかり自信をなくしていた私は


「マ、マルゲリータ…でもあの時、不評でみんな食べられなかったって
私、言わなかったけ…」


もう作りたくないよ…と思っていたが、仕方がない、また
お世話になったマルゲリータ・ファミリーのために作りましょう!


インスブルックのアジアンマーケットで海苔と醤油とわさびを買い、
魚屋さんでサーモンとマグロと蛸を買い、お米はスーパーで
見た目日本米に近いものを購入。


いかにしたら外国人に「うまい」といわせる寿司を作れるのか…。
やっぱり、酢飯と魚の鮮度が命だな。
魚は仕方がないとして、酢飯を上手に、こちらの人の味覚に合うように
作らねばならん。よし、今回は酢飯を味薄めに作ってみよう。


マルゲリータの2人の孫、カテリーナとイザベラが口を開けたまま、
私が作っているのをじっと見詰め続ける中、一生懸命に作りました。


今回のお客様は、マルゲリータとそのご主人、そしてご主人のお友達2人と
カテリーナとイザベラとそのパパ。


みんな"スシ”を食べるのは初めて。
ここでマズイのを作ったら、「スシはマズイ」ということになってしまう。
うわ〜。日本代表としての責任、重いよ。


オーストリア・ティロレーゼの方々の評価は…


「うん。うまいよ。悪くないよ」


「おいし〜い!!」とは言えないまでも
みんな「まずくないよ」といった感じで、パクパクと食べている。


中でも意外なことに人気だったのが、わさび。
「こりゃうまいな」
と言いながら大量にわさびをつけて食べていたのには、びっくり。


海苔も大丈夫で、すべてあっという間に無くなってしまいました。


私はちょっと自信回復。一安心。
「日本に来てください。もっと美味しいスシが食べられますので」



3回目は昨日。
学校のトルコ人の友達に
「アイ、うちに来てスシを作って欲しい」
と頼まれ、出張してきました。


今回のお客さまは、トルコ人2人とイタリア人2人、ポーランド人1人。


事前に「魚はコープのが新鮮でいいよ」と聞いていたので、
魚はコープでサーモンと鱈のような白身の魚を購入。
アジアンマーケットが閉まっていて、海苔が手に入らなかったので
今回は”にぎり”にすることに。



こちらは、どの家にもまともな包丁がない。
ギバギバのナイフでなんとか、魚をギザギザにしながら切りました。



インターナショナルなお客様の反応は…


「おいし〜い!!」
「"スシ”おいしいよ、アイ」
「ウ〜ん。ブオーノ」


初めての「おいしい!」という言葉いただきました!
「星、三つです!!!」という感じでしょうか。


あっという間にペロリと平らげ、もっと食べた〜いと言われました。
確かに、私も今までの中では一番美味しいと思った。
寿司はきっと、手巻きより握りの方が好まれるのだ。
酢飯さえ美味く作れれば、あとは握りでいった方がイイ。
そうか、そうか…。


そして、ここでもわさびが大人気。
寿司がなくなった後もわさびだけ
「く〜鼻にくる〜!! でもおいしい!!」
とかいいながら、食べていました。



3度目の正直、やっと美味いと言われる寿司を作れました。
お〜うれしい!! よかった。よかった。


まだまだ、色々な人に「寿司を作って欲しい」と頼まれています。
次回はメキシコ人の友達の家へ出張予定。
その次は同居人のアルゼンチン人、寿司大好きのシルビーナのために。


寿司、大人気です。